未来に向けて
いつまでも元気な
安曇野へ

より安心に、より活発に、より楽しく!

プロフィール

1956年1月4日生まれ・安曇野市豊科南穂高(旧南安曇郡豊科町)出身
2021年 安曇野市議会議員

1968年3月豊科町立南穂高小学校、1971年3月豊科町立豊科中学校卒業。1974月3月長野県立大町(現岳陽)高等学校卒業後、亜細亜大学経営学部に進学。1980年3月大学卒業。
同年4月、アップルランド(現デリシア)に入社。鮮魚担当に配属となり鮮魚バイヤーとして働き、大町店・穂高店・豊科店店長として勤務後退社。
2013年3月に食品卸・販売業の株式会社ノーストーンを設立。
地区においては、2014年〜2017年度に寺所区公民館館長、2018・2019年度に寺所区・人権指導員、また2018年4月からは寺所農地・水路・環境を守る会の事務局を、2020年4月からは寺所区社会福祉協議会会長として活動している。

趣味
バスケットボール観戦・マレットゴルフ
好きな色
黄色・うすいブルー
家族
妻と子ども2人

6つの提案

1

減災・防災対策

  • 地域の危機管理体制をサポート
  • 情報の共有化を図る
2

子ども・高齢者支援

  • 子ども食堂・フードパントリーの支援
  • サロン活動
  • 高齢者活動の支援
3

芸術・文化・スポーツの振興

  • 指定管理施設の活性化を図る
  • 豊科弓道場の新設
4

安曇野インター周辺の活性化

  • 交通安全対策の継続
  • 道路・水路の維持
  • グルメロードの活性化
5

物価高騰対策

  • 地方の声を中央に…
  • 全世帯への支援
6

SDGs 持続可能な開発目標

  • 安曇野の自然を大切に…
  • 田園風景・湧水の維持
初めて出したLPレコードとタイトルの歌詞カード
青春の思い出
楽しかった仲間とのライブ

青春時代...
そして60代となって思うこと

フォークソングを愛し、バンド仲間と過ごした青春時代。その時に築いた絆(きずな)は今でもつながっており、人生の大切な支えになっています。青春時代を今に置き換えることはできませんが、あの純粋で多感な時代のわくわく感を、今の時代に生かすことができないだろうか…。石ころにつまづいてもいい。ゆっくりでもいい。夢に向かって一歩ずつ歩み続けることが今でも好きです。

安心して子育てができ、若い人たちがふるさと安曇野で夢を語り、その夢をここ安曇野だからかなえられる…。そんな希望に満ちた安曇野市にしたいと思っています。

そして、高齢者が心から安心して暮らせる安曇野市へ。69歳になった今だから感じていることがあります。地域の人たちの絆を活気あふれる地域社会づくりに活かし、福祉の充実を実感できる田園産業都市・安曇野市を目指します。

地域と市・行政のパイプ役として、
安曇野市に貢献します!

市・行政に対して、透明性のある
チェック業務を遂行します!

雇用、移住定住、子育て、
安心な暮らしができる街づくりを
全力で推進します!

推薦人の声

 岡村のりあきさんは、20代の頃にフォークソングに熱中し、青春の日々を仲間と共に過ごしてきました。若き日に歌に込めた人生や社会への熱い思いは、古希を迎える今もなお、ますます膨らみ続けています。
 暮らしの中の小さな困りごとに耳を傾け、地域のために動いてきた岡村さんの姿を、私たちは身近で見てきました。子育て世代の視点に立った子ども食堂やフードパントリーの支援、高齢者が安心して暮らせる環境づくりなど、その献身的な取り組みが、安曇野を一層輝くまちへと導いてくれると期待しています。
 また今後は、安曇野インター周辺のグルメロードの活性化をはじめ、田園風景の保全や交通安全対策に引き続き取り組み、世界に誇れる安曇野ブランドの確立や観光のまちづくりにも尽力したいと述べています。
 安曇野に生まれ、安曇野で学び、安曇野とともに歩んできた岡村さん。郷土を心から大切に思うその姿には、「笑顔あふれる日本一のまちにしたい」という揺るぎない信念が力強く伝わってきます。
 その情熱を惜しみなく発揮し、6つの提案を実現していくために、皆さまの温かいご理解とご支援を心よりお願い申し上げます。 (支援者一同)


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